スズキGSX1100S/750Sカタナ(1982~2000)の歴史
不世出のアイコンとして特別な位置づけになった
性能か、ルックスか。バイクに求められる2大要素だが、どちらかだけで人気が成立することは、まずない。カタナ登場以前のスズキは、性能は十分以上なのに没個性的ではないか……とも言われた。だが当時、ヨーロッパの雑誌企画で見かけた〝未来のデザイン〞を手がけたターゲットデザインに接触することで、それは覆った。
日本刀をモチーフにしたデザインを旗艦たるGSX1100Eに合体したそれは、1980年にプロトタイプとして姿を現し、翌1981年には市販を始め、ビッグヒットになる。カタナ。件のデザインがマーケットで受けたのは間違いないが、そこに辿り着くには、「スズキが性能がいい、壊れないことはよく知っている」という安心感らしいものの後押しがあったのではないか。
その後押しがあるから、次々現れる新型にも負けずに再生産が繰り返される。時代遅れではなく、時代をあまりにも追い越していたからこその長寿。おそらく2度と似たことも起こらない、特別なバイク。それがカタナなのだ。
1979 Red Raptor
1979年のドイツ、「未来のバイク」制作コンペにターゲットデザインが出展したレッドラプター(MVアグスタベース)。
1980 PROTOTYPE(SX)
レッドラプターの翌年、IFMA(ケルンショー)でカタナ・プロトタイプが発表される。
1981 GSX1100S(Z)
IFMA(ケルンショー)発表の反響を受けてさらに1年後、1981年の秋にはプロトタイプほぼそのままの形で初代カタナ=GSX1100S(Z)が発売される。スズキの旗艦自体はすでにモノサスGSX1150Eや油冷GSX-R1100へと移り変わる中、GSX1100Sは1984年まで現役。1987年には最初の再生産(SAE/SBE)を行う。
1982 GSX750S(1)
当時国内上限、欧米で中間排気量の750㏄版カタナ。初代1982年型GSX750S(1型)は1100の1075 ccに対して747.4㏄でリヤホイールが2.15-18となる以外はほぼ同仕様。69psなった国内版(輸出版は81ps)ではセパレートハンドルとスクリーンが認可されず、アップハンドル/スクリーンレスで販売。
1982 GSX750S(S)
初期型GSX750Sが発売された1982年の7月には国内でも市販車にスクリーン/カウルが認可される。これを受けて同年11月に登場したGSX750S(S)はスクリーンが装着された。
1982 GSX750S(2)
1983年3月発売のGSX750S(2型)は前後ホイールを2.15-16/2.50-17サイズに。ハンドルも形状を小変更するが、カウル下フィンは未採用。
1984 GSX750S(3)
バイクブームのただ中で、カタナにも新たな流れの導入が検討された。それを形にしたのがいわゆるIII型カタナ、1984年型GSX750S(3型)だ。スズキ社内デザインとなりリトラクタブルヘッドライトをマウント、エンジンは72→当時上限の77psまで出力引き上げ。ホイールやフォークサイズはそのままにリヤをモノサス化しフレームも角型と、当時の未来感も盛り込んだ。
1985 GSX750S(4)
1985年型では燃料計を追加し銀色を加えた4型がデビュー、750カタナはここで終了する。
1990 GSX1100S(L)
1100S発表当時は国内ではカウル未公認(1982年夏に認可)、750cc上限。それもあって1100カタナ熱は衰えずに推移。1990年にようやく750㏄超のビッグバイクが国内解禁となると、スズキ70周年記念車のSM(SL/SSLも同仕様)が生産される。
1994 GSX1100S(R)
1994年には1100史上初となる国内仕様車が電動アシストクラッチ付きで登場した。
2000 GSX1100S FINAL EDITION(SY)
1999年の東京モーターショーで出展され、2000年春に日本のみで1100台が限定販売されたのがGSX1100S(Y)=カタナ・ファイナルエディション。SRまでからの変更点はフロントキャリパーが片押し1POTから対向4POTになりフォーク側取り付け部も変更。フロントディスクはφ275→300mm(取り付けボルトもM10→M8)となる。フレームはピボット上を補強し、ステップブラケット着脱可とし、前後ホイールは1.85-19/2.50-17のままチューブレスタイヤを採用した。ここでいわゆる空冷カタナの生産が終わる。
※本企画はHeritage&Legends 2020年2月号に掲載された記事を再編集したものです。
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