ヘリテイジ&レジェンズの新創刊と共に、リスタートを切ったGoGo2ストローク ヤマハTZR250編。おかげさまで読者の皆様からは、それなりの反響をいただいているのだが、前身のロードライダー時代を含めて、連載開始から4年以上が経過していることを考えると、これまでの経緯をご存知ない方もたくさんいるだろう。そこで、誌面での連載を楽しんでもらうための一貫として、ウェブに過去を振り返る記事をアップしていこうと思う。
そもそものきっかけは、2014年11月のTOT=テイスト・オブ・ツクバだった。このイベントレースを取材した帰り道、車中の僕と月岡編集長は「TOTの取材は楽しいけど、参戦したらもっと楽しいだろうね」、「俺たちが出るなら、全体のレベルがあんまり高くないZERO-4かなあ」なんていう話をしていたのだが、それはまあ、我々にとっては日常茶飯事の戯言である。ただしこのときは、意外にもトントン拍子で準備が進み、翌月には参戦車両の’85年型ヤマハTZR250=1KTが僕の手元に来て、’15年5月には初陣として、TOTのSATSUKI STAGEを迎えることになった。
実際に1KTでZERO-4に参戦するにあたって、当初の僕と月岡編集長は、「筑波サーキットでとりあえず1分10秒を切れれば、中盤あたりでレースが楽しめるだろうし、7秒台が出れば表彰台に上れるはず」と考えていた。でもそれは、ふたつの意味でとんでもない大甘だった。
まず1分10秒を切るのは予想以上に大変で、艱難辛苦を経て、ようやくコンスタントに10秒以下がマークできるようになったのは、初参戦から約2年が経過した頃だったし、僕がモタモタしている間にZERO-4のレベルは急激に上昇して、昨今では表彰台の条件は5秒台以下になってしまったのだ。
あら、この展開だと何だか残念な話みたいだが、これまでを振り返って僕が後悔しているかと言うと、まったくそんなことはない。度重なるピストン+シリンダーの焼きつき(主な原因は僕のセッティングミス)や、経年変化による電装系の不調、自らのスキル不足(基本的に自分がツーリングライダーであることを実感)などには、大いに悩まされることになったけれど、地道な練習とチューニングで少しずつタイムを短縮していくという作業は、ものすごく楽しかった。それに加えて、レースの当事者になったことで、TOTに参戦するライダー/チューナーの皆様と仲良くなれたことも、僕にとっては大収穫だったのである。
初参戦となった’15年のSATSUKI STAGEの結果が、予選も決勝も後ろから6番目(出走は30台)、ベストラップが1分12秒893だったのに対して、近年の僕と1KTは、順位的には真ん中あたりを走れるようになって、ベストラップは1分7秒071にまで短縮できた。そして今現在の目標は5秒台&表彰台なのだが、果たして、目標が達成できる日は来るのだろうか?
今回のメインカット(最上段の写真)は遡ること2014年12月に撮影した、連載第1回目のタイトルカット。ふたりともヤル気満々な顔をしているけれど、実はこの走行でピストンとシリンダーを焼きつかせてしまった。ご覧の通り、#1シリンダーはピストンピンからサイドスカートまでガリッガリ。エンジンの素性がわからないのに、月岡編集長がいきなり全開にしちゃうんだもんなあ……。
’80年代のプロダクションレーサーを意識して、最初の2年くらいはノーマル然としたスタイルを維持。ただし僕の手元に来た時点で、足まわりは’89年型TZR250=3MA前期型用に変更されていた。今になってみると、この頃のハンドルはかなり高い
‘16年6月には富士スピードウェイに遠征し、MCFAJロードレースでまさかの初参戦初優勝! と言っても、僕がエントリーしたNEO-Aクラスの参加車は2台だけだったのだが、優勝は優勝だ。左端はピットクルーを務めてくれた大内さんで、その隣は当連載でお世話になりっぱなしのクオリティーワークス山下さん。
‘16~18年には、エビスサーキットで開催されるラブ&ピース走行会にも何度もエントリー。写真は’17年5月に参加した際の模擬レースで、フロントローに並ぶのは全員クオリティーワークスの関係者。予選1位は小堀さん+VF400F、2位は山下さん+ZXR250、3位は中村+1KT、4位は本田さん+NSR。決勝での僕は、山下さんと熾烈なバトルを繰り広げることとなった。
スポーツランドSUGOで開催される全日本2ストミーティングには、’16年から4年連続で参加。このイベントのいいところは、筑波サーキットでは少数派になりがちなTZRがたくさん見られることで、毎年8台前後の1XT/2XTがエントリーしている。